6年目
5年が過ぎました。
震災の復興について僕は何もできていません。

2014年の夏、両親の願いもあり福島へ一泊で行ってきました。
小名浜漁港で午飯を食べ、海岸沿いを少し北上してから宿泊先のスパリゾートハワイアンズへ。翌日は原発のそばまで。
震災の被害状況を少しでも見ることができましたが、その当時は何も書けないと思い、実際に書く事ができませんでした。何かを簡単に言う事ができなかった。

小名浜付近は津波の被害は写真でしか見る事ができませんでしたが、多くの建物も再建され人もある程度賑わっていいました。
しかし、そこから北上したあたりには除染した物であろう黒いビニール袋が多く積まれ、人影がありません。
海岸沿いは津波にさらわれたであろう、建物の基礎だけが残っている。
荒野に見える所も家が建ち並んでいたのでしょう。
かろうじて残っている家も部分的に崩れ、痛みが激しい。

そして、国道6号線を北上。立ち入り禁止区域の境まで行きました。
空気が重苦しく感じたのは、僕の気のせいでしょうか。
そこで迂回路の地図をもらい、立ち入り禁止地区の北側に行きたいと思いました。少し車を走らせる途中、ほんの数軒ですが人の姿を見かける家もありました。
ここの人達は何を思っているのだろうと思いましたが、車を停める事なく通り過ぎました。
そして、北側へ行くには時間が掛かりすぎることにすぐに気付き断念。
海へ戻り海岸沿いを南下することにしました。
楢葉町、富岡町のあたりです。

富岡の駅、駅前などは地震津波による被害の状態がそのままに残っている。
崩れている建物はあるけれど、人一人いない。
なにか、フィクションの世界にいるようです。

第2原発もそのすぐそばにあります。
そこに至る道には警察官がいました。
「何をしているんですか?」と。
車は東京で借りたレンタカー、ただ、通りすがりですと答えました。
そこからは離れた所で車から降りて、遠目に第2原発を見ました。煙ったような景色でした。
そして、常磐道に乗って「日常の」東京に帰りました。

現在は常磐道も国道6号も開通しているとのこと。あの重々しい封鎖は無くなっているのでしょう。
僕は何もできず、日常を過ごす事で精一杯です。
当たり前だと思っている日常を災害は根こそぎ奪うことが分かりました。地震と言う自然災害をなんとかやり過ごした後、日常のそれを奪い長い事そのままになっているのは制御できない原子力発電の故です。

それはやるせないな。
| 震災関係 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
3年目
3年目に入りました。

3月11日には2年前の事を思い出したりしていましたが、僕は結局いまだ何をすることもできない。

自分のやりたい事が自分の周辺の事に限られているのだろう。
ちょっと自分にがっかり。
被災された東北にも行っていない。もう遅い、とか思うけど遅いも早いも無いな。

今年の中盤頃には行ける機会を作れそう。
とりあえずは、行って、なにか旨い魚でも食べてきたいな。
| 震災関係 | 19:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
放射能の影響?
僕は原発反対というのは以前にも書いた通りです。
しかし、そのことと震災後に漏れ出た放射能の影響によるその周辺への偏見とは話が別です。

曰く、がれきの処理、生産物の拒否、極端には福島には住めない。など。

僕の極端に低い世間一般的情報収集能力からも、上記の様な福島(フクシマ)への偏見と思われる言説を目にする事が多くなりました。
それらのことの是非を判断出来る知識は僕にはありません。
一次情報を探しだし、それを判断する能力もありません。

ただ、それらを伝える人達の書いている物を見る事はできます。
その文章に対しての判断はできます。

少なくとも僕には福島は危ない、などと煽っている人の文章には胡散臭さを感じます。
放射能による直接の被害は小さいと現時点では考えられる。と書いている人の文章の方がまっとうのように感じます。
そちらの方が妥当性があると思いました。

しかしそれは原発容認とは別の話です。
即時全廃は難しいとしても、全廃の方向に向かうべきだと考えます。
| 震災関係 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
被災地
この9月から被災地に知り合いが二人移り住んだ。
大船渡と釜石。
復興支援です。

期間限定、住まいは仮設住宅とのことですが、二人とも妙齢の女子。

まずは行動力があることに感心します。

僕は一歩も動いていないし。

とりあえず、妙齢とのこともあるし漁業関係者と所帯を持って美味しい海産物でも送ってきてもらえないか。
と邪念を送っています。
| 震災関係 | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
復興について
1年が過ぎました。

僕は被災地に行って、その状況を自分の目で見た訳ではありません。
テレビ等映像による疑似体験もしていません。
今年の3/11前後にあったという震災1年後のテレビ番組も見ていません。テレビを見る習慣が無くなってしまったから。
だから、ほとんどの方より状況の厳しさ、つらさが身に入っていないと思います。
そんな僕でも時々その厳しさに立ちすくんでしまうこともあります。被害に遭われた方達はどれほど大変かお察しします。
マスメディアから情報を得ないのはずいぶん前からやっていたことですが、そんな僕にでも復興がらみで漏れ聞こえてくる情報があります。

ネガティブな情報だったりしますが、やはり「復興」には人だろう、と思う。
町が新しくなったって、人がいなければそれは町ではないだろう。
人がいてその人たちが自分の手で立っていられることが一番必要な事。

また僕の職能である建築の技術で役に立つ事もあるのかもしれないが、その手だてを思いつく事ができない。
結局建築に何ができるかわからず仕舞いです。

そんな自分には出来る事は限られていますが人への応援は可能だ。
だから、セキュリティファンド
この中のどこかに「投資」をしよう。
あと、気仙沼のオイカワデニムのジーンズを買おうかな。(あ、これは物欲だ)
| 震災関係 | 17:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
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